歴史

社名の由来

1949年、新日国工業を設立し、1962年、日産車体工機と社名を変更しました。その後、バスボデー、パワーユニット、自動車部品などの生産品目を整理していき、自動車の一貫組立てに集中していきました。そのため業容にそぐわなくなり、1971年に「日産車体株式会社」としました。

車両生産台数(当社グループ累計)

車両生産台数(当社グループ累計)

日産車体は、1949年、鉄道車両及び自動車の車体製作メーカーとしてスタートし、1951年より日産グループの一員として日産ブランドのクルマづくりを担い、着実にその歩みを重ねてきました。

Check1:このクルマにのって事業拡大へ

日産車体のルーツをつくったフェアレディZ

日産車体のルーツをつくったフェアレディZ

フェアレディの後継者として、究極を意味する“Z”を付けた「フェアレディZ(S30)」が完成したのは1969年。斬新なスタイル、高性能でありながら乗用車並みの価格により、北米で爆発的な人気を博し、10年間で52万台という、スポーツカーとしては驚異的な生産台数を記録しました。日産車体はこのクルマの生産を手掛けたことで大きく羽ばたきました。

Check2:「エルグランド(E50)」 ミニバンブームを捉え、現在の基盤をつくる

ミニバンで現在の基礎を構築

ミニバンで現在の基礎を構築

フェアレディZで飛躍的な事業拡大基調にのった日産車体は、1990年代に始まるミニバンブームを捉えた日産のフラッグシップミニバン「エルグランド(E50)」を世の中に送り出しました。日産車体の開発・生産準備・生産部門が一体となって挑戦し、“ファーストクラス”の最上級ミニバンを誕生させました。この初代エルグランドは、5年間で23万台を超える販売を記録しました。

Check3:「NV200」/INFINITI 「QX80」 日産車体の今を象徴する2つのクルマ

LCVでグローバル展開をリード

「NV200」 NY市 タクシー提案モデル

LCVでグローバル展開をリード

イエローキャブの愛称で親しまれ、毎日60万人の乗客を運ぶニューヨーク・タクシーの次世代車両に日産車体が開発した「NV200」が選ばれました。湘南工場で産声を上げた「NV200」は、世界各地で生産される、LCVグローバル戦略車です。湘南工場の生産ノウハウは世界各地の生産拠点でのお手本となり、日本のモノづくりを世界へ届けています。

世界に誇るプレミアムブランドを生産

INFINITI 「QX80」

世界に誇るプレミアムブランドを生産

長い歴史の中で培われてきたクルマづくりのノウハウ。日産車体は、LCV分野にその力を発揮するとともに、世界最高水準の徹底した高品質の追求により、日産のプレミアムブランドINFINITIを生産しています。大型高級SUVの「QX80」の生産は日産車体九州で行われ、その最新の設備と、「匠」による高度な技能により、世界でも数少ないINFINITIの生産工場としての役割を担っています。

社歴

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